ぷかぷかぷー。

消えていく大好きな匂い

共感されたいのは存在証明だから。

共感はされたくありません無理にするつもりもありません。

でも、共感が人生に必要不可欠なのは知っています。

 

去年のブログ読んで書いた記憶がなくて驚いた

記憶がないというか結局記録しないと

良いことも悪いことも何もかも忘れる脳なんだな人間 

改めて実感

でも共感はした。新鮮に読めたのでオールオッケー

共感されたくて書いたわけじゃないけど、

今の私が過去の私に今共感できたことは過去の私の救いになっています。てか今なりました。

共感がデフォな時代になってしまいましたが、

共感を求めるのは他人じゃなくてもいいと思う

共感されたいわけじゃないけど、何かを吐き出してもこのブログは誰にも読んでもらえないなのだとしたらそれは当然虚しい悲しい、

世の中の1人くらいの目に入って共感まではいかなくても何か思うことがあるといいな 

とは正直思います

それが存在証明になるから。わかりやすく。

誰も全くの1人になるために生まれてはないので流石に私でも寂しいな感情はあります。

 

それでもなお私が共感はされたくないというのは

言い訳でも強がりでもなくて本心です。

多分そう思えるのってこう日記とかブログをダラダラ続けてる人生だから過去の自分に共感する経験があったからなのよね。

そして今自分が描いてる文も未来の私が共感する、百じゃなくても少しはする、読んでくれる、

の確証があるからですね。

 

そういう経験がなかったら、もしくはそれが自分自身じゃ物足りなかったりするひとは、他人に共感して欲しいって思うのは自然な流れなんだよな。

なんてったって他人はタイムリーに共感してくれちゃう率が高い。

今しんどかったらそりゃあ今共感してくれる他人に世間に縋るよな!!

どっちがいい悪いじゃなくどっちも自然な流れだし、結論人は存在を認めてほしい人間なのでした

を、今ふと考えて気付いて

これもまたタイムリーに共感して欲しいとは思わないけど、書かないといけないと思う。

記録した思考をいつかの私が読んでくれることに安心しているから毎日生きていると思います。