ぷかぷかぷー。

消えていく大好きな匂い

エモって!

エモが多用されることについては

定期的にふと考えてしまいますが

たぶんみなそうよね?

 

平成が終わるときの平成最後の丸々ブーム、

あれうっせわ!(おっとここで令和が)と思うほど

こじつけのエモで吐き気がしましたが、

振り返ると致し方ないきがしてきた。

なぜかというと、元号の終わり、時代の終わりを振り返られる媒体があるからなのですね…。


すみません噛み砕きます。

 

あの時代はこうだった、あの夏はこうだった

そう振り返るのが脳内の曖昧な思い出たち、

それしかないことこそエモだと思うんですよ、

おじいちゃんおばあちゃんの語りとか…

戦後大正のわかりやすいデータ媒体がない時代とか

そんな気がしちゃうね。(そんなとはエモの原点エモの極み的な感覚です私見です)
しかし昭和の終わり、

平成の元号発表の映像あたりは残ってる、

データとして残される思い出が増えた時代、

それが平成なのかなと平成生まれがここで勝手に予想のレベルで思いました。
なので、あのテレビで見た昭和の終わりのように

平成も終わっていく、ああ今がいつか語られていく、あの頃はこうだったああだったを語れるエモーショナルを持ち得たい…時代の終わりイコールエモなんだ、、実体験の前に想像上のエモを植え付けられた若者、、若者たちはエモくなっていたいの焦燥感に苛まれる!、それら全ては、エモい!とただひたすらいうことでしかかき消せない気がします。
曖昧な概念のまま話されていたエモが、

映像、文章として如実に残されている状態、それは意図せずエモの前借りを促してしまいますね…
どっちがいい悪いの話ではなくどっちもいいし、

てかどうでもいいですの気持ち。


情報技術の進化で過去を振り返ることができる、

そして起こる前から、過去として記されることがわかりまくりの今、未来、に囲まれた現代人。

エモを感じるのは後でも先でもなく今しかない、0.000001秒のエモ!を全身で感じようとしている人間、可哀想でかわいいねの話。

エモのバロメーター、繊細のようで大雑把のようでやっぱり繊細な気もする、

バグりまくりの最近のエモブームそれを取り囲む人間ども、この流れの全てから止まる事のない人間の進化を感じられて結論エモエモいう私も友達も最高に好き。