ぷかぷかぷー。

消えていく大好きな匂い

曖昧だいすき

ふと嗅いだ風が知ってる香りだったり、読んだ言葉で思い出す海とか空とか鉄塔とか、うたたねで聴こえる生活音とか、全てを懐かしいと思うと同時に、そこに懐かしさはない気もする。全部知らない香り、景色な気がする。

どこの何とわからない景色が私脳内にはあってそれがとても大切なのです。たぶん、本当に幻なんだと思う。全ての記憶の欠片が一瞬の景色に纏められている気がする、全部の思い出の集合体、、?

だから、その懐かしいに対する曖昧さだけは大事にしたい。本当に見たことがあるかないかなんてどうでもよくて、私の脳だけにある、私の脳内マップ。君には絶対に見えないし伝わらない。もはや私自身にも伝わらないこの懐かしさたち。なんか昔からある。

絵に描けないくらいぼんやりしていて、言葉で伝えようとすると見えなくなる、何かの残像みたいな、、、でも絶対に消えてほしくない、何かがいてくれてると思う、え、これ私だけですか?

みんなにあると思ってた

まあそれらを絶対も肯定もなく、曖昧さを愛してほしいのよ

 

あるかもしれないね、と可能性に対してそう言葉をかけてほしい。きみにはきみの、わたしにはわたしの見えないけれど、大事 が沢山あるはず

 

わからないけれどわかるよ、は説明ができない

説明すればするほどそのわかるが表層だけのものに感じる、いうだけ虚しい。あやふやにしたいわかってほしくない

それでもたまに、わからないけどわかるよ、わかるけどわからないよ、の言葉を信じられる時がある、それは感覚の話なので説明不可だが…

わからないけど同じ方向で加速できる人、いる

わかりやすくそれが親しい友達、とかになるのか?

あーあー、くそー、

感情の曖昧さを大事にしたいのに、こういう話をする時結局友達などの肩書きが現れるのが気持ち悪い、わかりやすいから仕方がないのだけれど。

説明ができない感情や関係性ばかりに大事にしたいと思ってしまう、なぜなら大事なので。

大事にしたい!の理由は大事にしたいからしか存在しませんよね

 

最近の鬱は、販売員とお客さん、上司と部下などの肩書き縛りの日々でまるで絶対があるような暮らしが広がっていることに原因があると思う、

肩書きがないとわかりにくい世界になるので致し方ないのは承知の上ですけどね

 

人生、わかんねえーーー!と叫びながらバタバタ走りたいのに、わかりきったふりをする大人に囲まれてしまっているのもわたしには厳しい状態

 

自分経験主義なのでやってみるしかない精神があるのに、それをする時間も余裕も消えていく現状、

時間も可能性もある今が若いとか諭してくる大人たち、どこで何を妥協するかだし、諦めと楽を手にしないとこのしんどさは消えないと知っていますが、今はまだその諦めを、余裕ではなく体たらく!と思う気持ちがあり、つまりまだわたしは若いのだと思います。うるせーよ歳とか関係ねーよ性格だよ!の気持ちもあり、、、、面倒ですね

 

正解を出したいのではなく、わかんねえよねー!だよねー!と言い合いたい。そうやって生きるしかエネルギーは溢れてこないっぽい。

無理っぽい時に頑張れるっぽいので、

私に若いだの才能だの努力だの自由だの、そういう希望は見せないでください絶望です

悪意がないのはわかるから、ありがとうとだけ言います、けれど、、、以下堂々巡り

 

こんなにしんどいのにいつまでもこうでありたいと願っていることも事実です。よって自分を苦しめているのは他でもない自分^_−☆

人生こうでなくっちゃ!ハッピー!

 

モード突入。