ぷかぷかぷー。

消えていく大好きな匂い

思い出バスタイム

思い出を、思い出すことができません。
思い出を、思い出せないけれど思い出です。

過ぎ去った生活はいつでもずっと、断片的で、
日によって色も香りも解像度も違っているのに、
そのどれもが思い出として一括りにされる。
思い出一つをとってみるとコマ送りみたいに
フラッシュで切り替わるあの画面になる。脳内で。
もう、全てを思い出すことはできない。
それを、悲しいとも思わない。

思い返して悲しくない出来事が増えるたび
その出来事は思い出に昇進したんだなあ
と感じます。
思い出して苦しくなるまでは全てまだ今の出来事、

感情が動くことは今なんだよ。
歴史の教科書の
あの長ったらしい年表を見るみたいに、
写真を見てもそんなこともあった、
そういえば楽しかった日々、悲しかった日々、
あったなあと事実としてしか思えない時、
それがすなわち思い出だと思います。
そんな思い出たちに、

救われることも傷つくことも

今となってはあまりない、

ないけれど、思い出たちは消えて欲しくない。

時々似たような夕日をみて知ってる、と思ったり、

夕飯の香りで勝手に安心したり、
今につながる感性は、
思い出によってもたらされているし、
生きる化石として私にあり続けるからです。

思い出が収納されている棚は、
自分では開けられない引き出しだけれど、
反射で、脊髄で、無意識に開いて、
今の生活の一瞬のスパイスになっている、
なくても生きられるけど、
ないとわたしが薄れちゃうんじゃないかなあ、
あるようでないそんな思い出と私の曖昧な関係、
その距離感が愛おしいし、もどかしい。

思い出を具現化したら絶対入浴剤。
たまに全部の思い出を一つの入浴剤にして、
湯船に落として、溶けていくその様を
グチャグチャになるその様を
じっと見つめたいと思う。
色は絶対にピンクとか華やかなもんじゃなくて

全部の色が混ざって

結局泥やんみたいなそんな色、絶対。

 

私は思い出が大好きです。
会えない思い出に会いたくなる時、
私は濁った湯船に口までうずめて夢想する。
思い出バスタイム